平安時代から個別に福神信仰は広く行われてきたが、中世鎌倉時代以降、水墨画の発達に伴って、禅画の画題でひたしまれる布袋和尚(中国後梁の禅僧契此)や福禄寿・寿老人を加え、竹林の七賢人に倣い、あるいは経典の『七離即滅、七福即生』にもとずく聖数七に由来して七福神として一組に合わさったのが中世室町時代のこととされ、七福神は瑞祥の象徴とし見立て、広く絵画や彫刻の題材にとられるようになる。
こうした七福神信仰が起こった背景には、中世室町時代に至って町人生活の中で蓄財観念が萌芽し、福徳という現世利益を求める町人意識があったためとされる。
これが商業資本主義の発達を見た近世江戸時代になっていよいよ福徳授与の神として七福神信仰熱が高まり、天明年間(1781-89)の江戸において七福神参り(七福詣で)と称し、正月元旦から、七日までに、一年の福運を祈るため、七福神を祀った社寺を巡拝する事が流行し、以後庶民の間で、年中行事的に行われるようになる。 |